教養学科への招待

         教養学部

         教養学科第一 船曳 建夫

 この文章は、教養学科に関心のある君達へ、その全体のイメージを与えるために書かれています。それぞれの分科がどのような内容を持っているかはガイダンスブックなどを読んで貰うとして、ここでは君達のまだばくぜんとはしているけれどもふくらみつつある希望や、同じくわいているであろう不安に応えながら、君達を教養学科という知的な場に招待する理由を明らかにします。

1.教養学科はどうして駒場にあるのか 私も教養学科の卒業生の一人です。本郷に行くと暗い大教室の暗めの授業でいやだなと思っていましたので、教養学科に進学したときうれしかったのですが、駒場に残されて4年まで教養課程をやらされるようで、その点少し格下の学校に入ったようなわだかまりがありました。しかし、そのかすかな気がかりは教養学科の歴史的成立ちとそれゆえの豊かさに関わることだと後に知りました。

 教養学科は、教養学部が戦後旧制一高から発展したという出生の致しを、最も強く帯びている制度だったのです。駒場にあったこの旧制高校は、全寮制のもと全国からの俊秀を集め、いわゆる全人的な教育を施すことで社会に優れた人材を送り出す、その意味では、当時のいかなる大学や高校よりもはるかに迄立してかつ濃密な「エリート」養成機関だったのです。4年間教養課程をやらされると私が感じたのは、一高の全人的な教育というものの伝統がこの学科にあったことから来るものでしたでしょうし、「学校」と感じたのも同じ理由で、今ではさらに、これは、フランスなどでたとえばパリ大学よりもエコール・ノルマルとか、エコール・ポリテクニクといった「エコール(学校)」がより正しい意味でエリート養成機関であったことに似ているのだと知りました。

 そういえば、私が進学した二十年ほど前、一高の最後を飾る卒業生達であった若き教師達は、良きにつけ悪しきにつけその雰囲気を持っていて、私などもそのころ当然のことに否定の対象であった「エリート」であることに反発しながらも、二つ三つの外国語を操れることや、卒業論文や修士論文が活字になって出版されることなど当然のことのように自分も思っていいのだと、思いなしていたのでした。そのことは教師達の要請以上に自分達自身への期待を生んで、学生達は勉強に励みました。

 では、それら一高の卒業生達の最後の人々が駒場を去ったいまはどうでしょうか。もちろん、エリートとはほんのひと握りの選ばれ隔離され身分の保証された人々を指して意味のあることばですから、この学科くらいにそれを使うのはもとからおかしいのです。しかしその「臭さ」には鼻をつまんで、あえてそのことばを使えば、教養学科は良い意味で未だに「エリート」的な雰囲気を残しています。それは前に述べた一高からの由来と、制度上の制約もあって二百人程しかいない学生に対し多くの教師が教育に当たることからくる小人数教育がもたらしたものです。教養学科が地理的に駒場に置かれているのは歴史的偶然によってそうなのですが、そのことは教養学科の特徴も形作ったのです。

2.いま教養学科に来ると何が出来るのか 教養学科はいくつもの分科にわかれています。それらアメリカの文化と社会、人文地理学といった分科がそれぞれどんなことをするのかについてはべつのガイドブックを読んでください。ここで伝えたいのは教養学科全体のイメージであって、具体的にはこれまでの売りものである、幅の広い基礎知識といった「一般性のある能力」と、個別の専門分野や自己中心的な判断にとらわれないための「学際的で国際的な視点」というものの内容がなんであるかということです。

 一般性のある、言い換えればジェネラリストとしての能力というのは、二つの面から保証されます。一つは、教養学科は設立された当初から、戦後の新しい状況に対応しようと新しい学問分野である文化人類学などを置き、またそれまで文学や歴史など個別の側面から理解しようとしていた対象を、たとえば「フランスの文化と社会」というように内的関連の強い全体としてとらえるという枠組みを提唱してきました。その戦略的対応は常に時代を鋭敏に読みとりながら、次の時代の精神を指し示してきており、最近ではたとえば文化というもののあり方が根源的に変わってきているという認識が表象文化論という新しいコンセプトの分科を生み出しました。そのような分科のあり方は、そこで行なう研究や教育を常に現在の社会状況に開かれたものにしています。

 ですから教養学科と本郷の文学部や法学部がどう違うかという問に、一般的な基礎教育に対して特殊で専門的な学問という対比で説明するのは当たっていません。それは、社会に開かれているかいないかという点で、それが言い過ぎだとしたら少なくとも社会に開かれることに教養学科が常に意識的であり続けているという点で「本郷」との対比を考えるべきでしょう。

 ジェネラリストとしての能力を与えるもう一つの面は、教養学科で行われている教育と授業の履修の方法にあります。まずは端的に外国語の力です。教養学科の学生が外国語が良く出来るというのは世の中に広く知られています。学生には最低二つの外国語が課され、その話すこともふくめ少人数のクラスで教え込まれます。また履修法や副専攻のことなど細かくは別の資料で知ってほしいと思いますが、教養学科では、所属する分科のみならず、広く関連する他の分科の授業や共通する授業を取ることを求めています。教養学科のカリキュラムは全体で一つのものだというのがそのポリシーなのです。

 学際的で国際的な視点は、この外国語の能力の高さと幅広いカリキュラム編成を基礎にしています。その上で、すでに述べたように各分科はそれぞれが現実の新しい諸問題に対応できるように設立の時から内容的に学際的であり、それを学ぶことでそのような視点を持つことを可能にさせているのです。国際的な視点というものも、いってみれば自分(達)を相対化した複数の視点ということであり、それはおなじ学際性と、幅の広いアプローチによって養われるものなのです。

 教養学科に来れば出来ること、それは学際的であり国際的な視点に立って現実を処理する能力を自分のものにすることなのです。

3.教養学科を出ると何が出来そうか 最後の問、教養学科を出ると何が出来るのか、それには多分卒業生が何をしているかを知らせることが手っとり早そうです。自分で書いていて驚いたのですが、いま述べた「国際的現実処理能力」といったことを体現している人がいます。それはこのあいだまでカンボジアの和平に力を尽くし、いままた旧ユーゴに飛んで新たな問題に取り転んでいる、国連代表の明石康さんです。彼は「アメリカの文化と社会」の第2期生です。彼がやっていることなど、まさにミスター教養学科といっても良いようです。彼のように私たちの目に触れることをしている人以外にも、多くの卒業生が教養学科の培った能力を発展させて仕事をしているに違いありません。

 また卒業生の職業別最大グループは、学者・研究者です。教養学科はあまり学問的には「深く」ないらしいという印象を持っていたらそれは誤っています。正しい事実はむしろ、この輩出する学者の数からも想像されるように、いま文系の学問全体が次第に教養学科の理念の方に寄ってきているのです。他に金融、マスコミ、官界、商社、教養学科の卒業生の進路は実に多岐にわたっています。そして、その職種のヴァラエティー以上に、それぞれの分野で、上に述べた視点と能力は多彩に発揮されているのです。 

 以上が君達を教養学科に招待しようとする理由です。もし君がある種のタイプの秀才で、「いまのところ」なにをやるのか決められないしー、教養学科はみんなが狙う点の高いところだしー、入ってからいろいろと選べそうだしー、「とりあえず」行ってみるか、と、思っているのだったら、それでも良い。でも結局教養学科は大いに勉強するところです。入ってからきついですよ。


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