原子力工学からシステム量子工学へ

   工学部システム量子工学科

             主任 矢川 元基

 工学部原子力工学科はこの4月からその名称をシステム量子工学科と変更し、次の時代に向かって新しい一歩を踏み出しました。そもそも原子力工学は、原子力平和利用の推進という社会的要請に応えるため、物理学・化学・電気工学・機械工学・化学工学・材料学等多くの学問分野の協調により創成され発展してきたわけですが、本学においてもそのような協調的発展の中核として1960年に原子力工学科が設立され、原子力発電ならびに放射線利用に関係する科学技術を教育研究の中心に捉え、原子力平和利用の発展に対して教育と研究の両面で貢献してきました。そして現在では、我が国の原子力発電の技術は世界のトップレベルになり、原子力が基幹エネルギーとしての地位を占めるようになっています。来世紀に向けて、原子力発電の重要性がますます増加して行くことは明らかであり、このため、この技術を今後とも維持発展させて行くことが必要であることは言うまでもありません。しかし、教育研究機関においては、それだけでは十分ではなく、そこから新しい技術の萌芽をみつけだしこれを育てて行くこと、あるいはそこからより普遍性のある学問体系を構築してゆくこともあわせて期待されています。

 こういった認識を背景として、原子力工学科でも当初の原子力発電や放射線の応用に関連する事柄から次第にプラズマ核融合・レーザー等へとその教育研究対象を拡げてきました。また、方法論的にも伝統的なミクロレベルの理解に基づくシステム思考を大事にする立場を維持しながらも、いわゆる量子レベルの分析・分離・加工・合成・制御などの研究などにも関心を持つようになってきていますし、原子力発電や放射線利用の研究開発で培われたシミュレーション工学や情報工学などをさらに発展させるとともに、これらのシステムをより安全かつ人にやさしく環境と調和のとれたものとすることを目的として、新たに人間工学や認知工学についての基礎的・普遍的手法の研究も行うようになってきています。そして、このようにして育ってきた新しい工学分野を「システム量子工学」と呼んで、これを独自の工学体系として発展させるために教育研究内容の整備と充実を図ってきました。

 「システム量子工学」(英文ではQuantumEngineering and Systems Science)は、大きく分けて、2つの学問分野から成り立っていると考えることができます。その1つほ「エネルギー量子工学」と呼ばれるもので、核分裂や核融合を含む量子レベルでのいろいろな相互作用に基づく物質やエネルギー現象の理解と、そうした原理的知見に基づく工学システム挙動の解明と応用を目指しているものです。具体的には、レーザー・高エネルギーイオンビーム・中性子・電子線などの量子ビームの発生・制御・計測、量子ビームを用いた新物質合成・物性制御と同位体分離などの高度分離、量子エネルギーシステムとしての核分裂炉や核融合炉についての工学、プラズマなどの電磁流体の制御と可視化、量子エネルギー変換、量子エネルギーシステム用新材料の開発・評価やロボットなどを含めた特殊機器の開発などがそのおもな研究テーマです。もう1つの分野は「システム設計工学」と呼ばれるもので、原子力発電システムの設計や運転に関するこれまでの知見をもとにして人と環境に調和する大規模工学システムを創造し運用していくための基盤となる学問分野です。具体的には、新型炉の設計、量子エネルギーシステム設計の体系化と安全評価手法の確立、システムの自動化や知識工学に基づく設計・計画・運転などの工学的知的活動を支援するための技術の探求、数値解析手法や数値シミュレーション手法の確立と計算機応用工学、材料データベースや計算機システムを用いた材料の設計などがこの範疇に含まれます。

 東京大学工学部では1992年度から大学院重点化を実施しましたが、その計画の一環として、本学科がこの「システム量子工学」という新しい教育研究分野の担い手であることを明示するため、その名称をシステム量子工学科に変更したものです。そして、人類の福祉向上を目的とした創造的な科学技術の進展に貢献したいとするチャレンジ精神溢れる学生諸君に明確な目標を与え、その修学・研究意欲を刺激するとともに、そうした新しい見方をもった人材を社会に送り出したいと考えています。

 このような考え方に基づいて、現在システム量子工学科では、システム量子工学の分野における真に創造的な技術者や研究者を養成するために、エネルギー量子工学とシステム設計工学とを核とする専門教育を行っています。具体的なカリキュラムにおいては、科学技術の著しい進展に常に自発的に対処し得る能力を養うために、物理学、化学などの基礎科学および情報工学、数値シミュレーションなどの一般基礎工学の学習に重点を置くとともに、システム量子工学の専門教育科目として基礎から先端分野に至る多彩な分野の講義を用意し、必修科目を極力少なく押え、学生諸君の自主的な判断のもとに各人の目的に応じた学習ができるように配慮されています。また机上の知識だけでは工学者・技術者として卒業後の実社会では通用しないので、少人数による様々な実験や演習・実習を用意し、講義で得られる高度な知識を実際に体験できるようにカリキュラムが組まれています。例えば、粒子加速器やレーザー・研究用の原子炉・プラズマ核融合実験装置・エンジニアリングワークステーションなどが研究・教育のために用いられ、普段よくその名前を耳にすることはあっても実際にその存在を確認する機会のほとんどない「放射線」を測定したり、極限状態において使用される物質の物性やプラズマの特性を調べたり、実際に研究用の原子炉や加速器などの大型の実験装置を用いて実験を行ったりコンピュータによる画像処理を行ったり、といったようなテーマを通して、広範囲の基礎原理を体得するとともにニューフロンティアに接することができるようになっています。特に4年次では、「実験演習」や「卒業論文」の科目において各研究室で自分の興味あるテーマを探求することができるようになっており、研究室の教官や大学院生とのディスカッションを通して研究をまとめてゆくというスリリングな体験をすることになります。その際の研究テーマとしてはそのときの最もビビッドなテーマが選ばれることが多く、例えば、常温核融合の可能性や超伝導現象で世界が騒然となった直後には「常温核融合中性子計測の設計・試作」や「酸化物超伝導の放射線照射効果」などがテーマとして取り上げられました。また、研究テーマが、特定の分野に偏らず、ほとんどすべての先端的工学諸分野から取り上げられているということも特筆すべきことがらで、例えば、レーザーや粒子線の応用に関する実験、人工知能・画像処理・ニューラルネットワークといったコンピュータ科学の応用、そしてプラント運転における認知・行動のモデル化、エネルギーシステムにおけるリスク評価、プラズマと核融合に関する実験や大規模コンピュータ・シミュレーションなど、よりどりみどりの状況です。

 学部卒業後さらに勉学や研究を続けたい場合には大学院に進学することになります。大学院システム量子工学専攻は工学系研究科に属し、定員は一学年あたり修士課程35名、博士課程16名です。1959年4月に原子力工学専攻として発足して以来、1993年3月の時点で修士課程の修了者は計574名、博士課程の修了者は177名に達しています。本専政の特徴の1つに教育と研究の国際化ということが挙げられます。具体的には、1989年10月より外国人のための特別コースが設けられており、日本語と英語のバイリンガルの講義や実験演習が実施されています。その結果現在では、修士および博士課程在籍者の計124名中27名が外国人留学生となっています。当然、本専攻においては国際交流の機会も極めて多く、在学中に海外で開催される国際会議への出席や発表・留学等を経験する学生が少なくありません。なお、本学科には、現在成績優秀者に対して本学専攻への推薦入学制度があり、毎年10名程度がこの制度を利用して大学院修士課程に合格しています。もちろんこの他にも通常の方法による入学試験も行われ、全体として学科卒業生の7−8割が修士課程に進学します。

 システム量子工学を修得した本学科学生ならびに本学専攻修士・博士課程の修了者は、本当の意味において「エンジニア」と呼ぶことができます。つまり、社会が要請するシステムを自ら提案し、実現のために計画立案をして、それを実行するためのリーダーシップがとれる人間であり、生み出された「もの」にとらわれず、より大きな視点に立って社会の要請を感じ取れる人間です。このようなことから、本学科および本学専攻の卒業生や修了者は、大学や国立研究機関における教育・研究や原子力関係のメーカーでの設計・開発業務といった分野はもちろんですが、その他にも、行政・電力・マスコミ・金融・保険・商社などの幅広い分野に進出しています。また原子力分野以外の一般製造業へもほぼ毎年コンスタントに就職しています。さらに、知識集約的であるシステム量子工学の特徴を生かし、ソフト・情報産業部門で活躍するばかりでなく、それを取り巻く社会科学や医学などの方面で特色ある仕事をしている卒業生も多くいます。いずれにせよ、システム量子工学という総合工学を身につけることは、激動する世界のなかで本学科を巣立つ人の将来に大きな可能性を与えているといっても過言ではありません。

 以上、システム量子工学の内容およびシステム量子工学科の概略について述べてきましたが、将来の可能性を真摯紅考える有望な学生諸君が一人でも多くシステム量子工学科に進学され、システム量子工学を学ばれることを願ってやみません。なお、システム量子工学の内容やシステム量子工学科の活動状況について詳細をお知りになりたい方は、学科の活動内容を紹介したパンフレットが用意してありますので、システム量子工学科事務室(03−3812−6579)までお問い合わせください。


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