林学――森林科学と環境問題――

        農学部林学科 鈴木 和夫

1992年6月リオデジャネイロで地球サミット(国連環境開発会議)が開かれたことは我々の記憶に新しい。世界の注目を集めたこの会議は、国連人間環境会議の20周年記念として開催されたものであった。そして、このリオ宣言には、“人類は自然との調和のもとに健全で生産的な生活を営む権利があること”、“環境保全には持続可能な発展(sustainable development)が不可欠であること”などが記されていた。同時に、世界の熱帯林が毎年1,700万ha(我が国の森林面積の7割)も消滅していることから“森林に関する原則声明”が採択されている。このような社会の変化に応じて、森林・林業を扱う林学の学問領域は、ここ十数年、益々国際化し、大きく変貌してきた。

 省みると人類は、この50年間に地球に蓄えられた化石燃料の大半を消費してしまった。そこで、地球上に一体どの位の生物資源があるのか、それらは適当な量を収穫していれば永続的に利用可能であるのか、などについて地球レベルで眺めたのは、30年程前のことであった。その後、開発途上国の人口増などとともに、天然資源の枯渇、環境汚染などの地球規模の深刻な問題が引き起こされた。そして、1980年には初めて、「西暦2000年の地球」(アメリカ政府)と題する地球の未来予測が行われたが、その内容は、ご存じのように、極めて陰りに満ちた悲観的なものであった。自然界ではさまざまな生物が、それぞれの生育環境に適応して、また、さまざまな生物同志がお互いに関係をもちながら一つのまとまりを作っている。森林に入ると種々の植物が目に入り、森林の構造、生態的な位置付け、植物・菌類・動物などの営みがどうなっているのかなどが頭をよぎる。この生態系において、生物は生産者、消費者、分解者などに位置付けられる。植物は、太陽エネルギーを固定して無機物から有機物を作り出すことのできる地球上で唯一の生物である。このような地球上の生物資源は、動植物全てを含めて1.8兆トンと推測されているが、その9割が森林に、そして、その半分が熱帯多雨林に蓄積されている。樹齢数千年の屋久スギや、樹高60〜70mに及ぶ熱帯多雨林の樹木を思い起こしてほしい。人間の時間軸と異なる悠久の時の流れ、また、そのスケールの大きさに驚かされる。人類は、いままで、この豊かな森林のエネルギーを使い、同時に環境を保護するという森林の働きに守られて生きてきたのである。

 林学科では、いままで、森林からの産物である木材やその他の林産物、水資源の確保など物の豊かさに対して最大の関心が注がれてきた。しかし、昭和40年代以降の我が国経済の発展にともなう都市化の進展と環境汚染問題など、従来見られなかった社会的変化が顕在化してきた。このような背景から、森林科学の視点は、従来の物質資源のみを重視する方向から、森林の存在そのものがもたらす国土保全や水資源涵養機能、自然環境の保全・利用といった環境資源の役割を重視する方向へと大きく変化していった。  現在、林学科には、森林生態系そのものを研究対象とする分野として造林学、森林植物学、森林動物学の3研究室がある。これらのなかで、森林植物学や森林動物学の研究室は森林の菌類や天敵微生物、野生鳥獣をも研究対象とした我が国で唯一の特色のある講座となっている。

 一方、森林・林業そのものを扱う分野として、計画学的分野を扱う森林経理学、経済的・社会的分野を扱う林政学、国土保全や水文学的分野を扱う森林理水・砂防工学、工学的分野を扱う森林利用学の4研究室がある。さらに、森林風致計画学研究室は、社会的意識を先取りして、森林の風景やレクリエーション等を対象として、森林のみならず人間活動についても広く研究対象としているユニークな講座である。

 研究分野の一端を知るために各研究室の最近の卒業論文の一例を以下に挙げた。

 スギ林内のCO2環境、バイオマス林の光環境、熱帯産アカシアの環境適応性温帯広葉樹林の群集構造、モミ林の外生菌根とその役割、材線虫病の萎凋枯死機構、ニホンジカ個体群の社会性、二次林における鳥類群集、昆虫の攻撃と樹木の反応、LAND−SATT・MASSデータを利用した施業案策定、森林の機能評価、森林の利用と環境権、農家林業の展開、国有林野事業の財務分析、火砕流・火山泥流のシミュレーション、森林流域の蒸発散量の推定、快適な森林作業の追求、山地歩行マシーンの開発、森林の風致的取扱い、自然景観と建築物との調和、居住空間の緑量と自然志向の関係

 これらのテーマの多様性は、林学科で行われる研究・教育が、自然科学、社会科学、人文科学の分野に大きくまたがっていることを示している。

 林学科におけるもう一つの特徴は、森林科学の実践的研究・教育の場として全国7ケ所に配置された広大な演習林をフィールドとすることである。林学科のカリキュラムでは、野外における実験・実習が大切にされており、我が国を代表する森林帯に応じて北海道(亜寒帯針広混交林帯)、秩父(温帯落葉広葉樹林帯)、千葉(暖帯照葉樹林帯)などの演習林で、学生が教官と起居をともにしながら実際に様々な経験を積むことになる。このような演習林での生活は、学生時代の思い出の場ともなっている。

 以上、林学科の概要について簡単に述べたが、生物圏としての地球には様々な環境問題が顕在化している。化石燃料の消費や森林の消失にともなう炭素循環の異常(温暖化現象)、ヨーロッパのみならず問題となっている酸性雨による森林生態系への影響、地球上で最も生物種の多様性に富んだ熱帯林の消失など、いずれも林学科の研究領域に深く係わりをもっている。21世紀の生物圏地球号に、諸君の活躍を期待したいのである。


agc@park.itc.u-tokyo.ac.jp