第59回 生命科学と生物学の違い

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 生命科学(Life Science)と生物学(Biology)の違いは、どこにあるのだろうか。1つは対象の違いである。生物学は動物・植物・微生物などを対象にする科学で、生物の構造、機能、進化、生態などを研究するのに対し、生命科学は明らかに人間を中心とする学問であるという側面を持っている。文字通りLifeは生物体だけではなくそれを取り巻く空間的環境や進化などの時間的変化も含む包括的な概念である。また生命科学と書いた場合には、人間を中心とした生物学であり、DNAテクノロジーなどの進歩した技術を用いた生物学的解釈を含むだけでなく、広く倫理面なども含む学問であることを示している。

 ご存知のように、我が国の理科・生物は生物学が主体であり、小学校では草木、中高では動植物を習って、大学受験にはカエルの発生やコケ・シダの生活環などの問題が定番になっていた。ところが、20世紀後半になって旧態依然とした生物学に大改革が起こってきた。DNAの発見とテクノロジーの進歩で医学が急発展したのである。この恩恵のほとんどは、私たち人間が受けることになった。健康問題が何よりも大切なものと認識され、環境保全や生物多様性も人間の生活のため、DNAも人間の健康のために勉強する、という流れになったのである。

 現在の理科教科書を見ると、小学校でヒトの誕生を勉強し、中学校でDNAについて学び、高校でバイオテクノロジー(遺伝子治療、遺伝子改変食物)や免疫・血液などのヒトの生理などを知識として吸収することになっている。数十年前の生物学とは明らかに異なる内容に変わっており、もう生命科学と呼んでも差し支えないだろう。

 人間の健康に関する題材が圧倒的に増えてきた今の理科・生物で足りないものは何かというと、脳科学(心理学)、医学、薬学教育、そして生命倫理教育である。科学の進歩は、逆に大きな問題を引き起こしてしまった。例えば、遺伝子診断をすれば生活習慣病のリスクも予測できるようになったが、全国民に診断を強制すると、必然的に生活習慣病予備軍が同定でき、その人たちを対象に予防せざるを得なくなり、国の薬価負担が膨大なものになる。診断すべきか、せざるべきか、という議論が出てくることになる。生命倫理学は、このような場合にどうすればよいか、どう議論を収拾すればいいか、という学問なのだが、ここにも問題があり、最後には「かわいそうだから」という感情論で決着をつけるというあいまいなことになりかねない。

 生物学から生命科学変わる過渡期には、旧守派(既得権死守派)の『何も変えたくない』という意見が出てくるのは当然である。いなくなるのを待つのは、さすがに我が国の学力の低下を招くので避けたいところだが、どうしたものだろうか。 (2012.4.4)