以下, 本当に研究とはかけらも関係のない雑記です(カテゴリとしては 一応 公に 出版されたもの). 研究につかれた人と仕事に疲れた人はどうぞ.


私はただ普通にトツトツと研究がしたいだけなのだが, なぜか研究とは全く関係がない書きものとか, (こんなこと話してもアラビア語を聞いているようなものだろうと思うような) 1, 2年生への研究紹介などが五月雨式に降ってくるのが 我々中堅(すでに若手といいづらくなってきた) の立場である. 割と同僚とか秘書さんなどに受けがいい(本当かな)ので とりあえず以下の書き物をUPしてみます.

* 物理屋の性分
* コマメシ
* UPの書評(おすすめ本2018)


「物理屋の性分」のうらばなし
これは着任時にまだなんとなくこれでもフレッシュだったころにチャラチャラ書いた学部報の新人自己紹介記事である. ここに登場するS氏は私の故郷にある大学に縁あって就職した数学者であり, 駒場の数理科学研究科出身である. この記事はもちろんこっそり書いたのだが その半年後にメールをやり取りした時, 「学生時代に東大数理の事務の人に堀田さんのこと話したことがあったんです. そうしたら、シンポジウムで久しぶりに東大数理に行ったとき、 『教養学部報に出ているこの堀田さんという方、もしかして以前Sさんが言っていた人じゃない?で、 この数学者SっていうのはSさんじゃない?』 と聞かれたんですよねえ。どこで誰が見ているか分かりませんね。」という恐ろしい事件が発生した. なんと知られていた! 下手なことはできないものである. こう書いている矢先にもそれが S氏に知られているかもしれない.


教養学部報 第567号 (2014/07/02) 《時に沿って》物理屋の性分
物理学者が、自ら言うところの「物理屋」とは一風変わった人々である。国内の物理学会は言うに及ばず世界のどの町で国際会議が開かれても、そこに滞在する物理屋は、国籍を問わず、見かけや挙動だけで「この人はそう(同類)だ」とはっきりわかる、そう思っているのは私だけではないだろう。最近では、ドラマ「ガリレオ」などで多少なりとも認知され、市民権を得てきたものの、一般市民とは明らかに一線を画する存在であることには間違いない(私は実は物理以外の学問に携わる方々がどのような特徴があるのかは、全く未知なのだが)。 そんな物理屋を見て、大学院に入りたての頃は、ああはなるまい、と固く心に誓っていたのが、数年後にふと気が付くと、ふらふらと歩きながら傘を回して考え事をし独り言をつぶやいてみたり、レストランで同僚と話に熱中するあまり、ペンを取り出して紙ナプキンや箸袋に図や式を書いたりすることが、ごく当たり前となってしまっている……。
     物理屋の中でも、駒場は(学問として(*注1))ひときわ個性的な物理を展開している人々の住まう場所だと、前々から思っていた。その駒場の一員に自らがなろうとは夢にも思っていなかったのだが、今になってふと、数年前、駒場時代の同期で今は数学者の友人Sと食事をしていてこう言われたことを思い出した。「昔、学生の頃キャンプにいったでしょう? あのときさ、今だから言うんだけど(笑)、カレーをみんなで作った時、君が変わったカレーにしない? って提案するだろうから、皆で絶対に普通のカレーがいいって言おう、って示し合わせてたんだよね」。 思わず笑ってしまったのだが、私はどうやら物理を始める前から「変わったこと」を本能的に求める傾向があったようだ。
     申し遅れたが、今年4月から総合文化研究科 広域科学専攻 相関基礎科学系の准教授に着任した。 学生の頃とまた違った視点で駒場キャンパスを横目で見やりながら、まだ右も左もわからないでいる。 専門は物性理論。物質の中にある10の23乗という無数の電子やスピンがミクロにどのように集団として振る舞うと物質のマクロな性質が決まるのか、を統計力学と量子力学を両輪にして理解しようとする学問である。 人間は一人一人個性があるが、マクロな集団になると個々の性質の詳細とは全く関係なく「集団」としての特徴を持った行動をとることが多い。特に、戦争中や、マスコミの先導やらで特定の世論が高まった時など、互いの意見を重視するような時勢には、集団行動の勢いはとどまるところを知らない。中でも日本社会は、欧米に比べて周りの人間の思惑や意見が個人の行動原理に強く反映される傾向にある。そのような状況を我々は「強相関」と呼ぶ。 人間の集団を物質中の電子の集団に置き換えてみても同じことが言える。 電子の場合、「強相関系」は電子間のクーロン相互作用(電子同士の反発)が強い場合に相当する。強相関電子系はこれまで多くの不思議でエキサイティングな物性――高温超伝導、巨大磁気抵抗、分数量子ホール効果――を生み出してきた。集団全体が、ごく一部の要素の小さな変化に対して、非常に敏感に反応するのがその特徴であり、 強相関ならではの巨大応答(*注2)を、科学技術へ応用する試みも年々進んでいる。 このような強相関系にアタックするにあたり、私だけでなく多くの物性理論屋が目指しているのは、従来の理論や考え方の焼き直しや切り貼りをできるだけ超えた、新しいストーリーを紡ぎだすことである。 その意味で、人の考えないような変わったこと、新しいアイディアを追及する癖というか本能のようなものは、職業上とても大事だと思う。
     創作料理には失敗がつきものであり、夫には創作料理を堅く止められているのだが、物理でもストーリーの”創作”は試行錯誤の連続である。幸いにして理論は失敗をしても大した被害は生じず、単にプログラムを組み直す、紙の上で計算をし直すだけで済むところがよい。 (相関基礎科学系/物理)

(*注1) 一応 公相手なのでこう書いてみたものの 駒場は 変人が多いことが昔から知られておりエピソードには事欠かない. わたしもここにきて 変人偏差値が下がって標準に近づいたような気がしている.
(*注2) この「敏感に反応する」はよいのだが「巨大応答」というところに同僚の下の書評にも登場する理論S先生から 物言いがついた. 実際そうなのだ, 強相関系はしばしば非常に摂動に敏感なのだが, 実際出てくるもの自体は はわりにぼやっとしていたりする. 何せ相関しているわけだから がさごぞがさごぞ少しずつ動くわけで全体でみたらぼやっとしているのです. そのぼやぼやしたわかりにくいところが 我々をそそるのですが. 自明なことは面白くないわけですから.



教養学部報 第567号 (2014/07/02)「オトナのコマメシ」
私は教養学部報委員という学内のおしごとを 2015年度くらいからかれこれ3年以上担当している. JournalのHead Editor業務と一緒で一度引き受けると かなりの期間[足抜け禁止], というなにやら不文律にちかい規則があるのではないかと思いたくなるが, 読み書きが嫌いでないものにとってはそれほど悪い仕事ではない. ただし 編集者のように同僚の先生方にとりあえず記事を書いてもらうのが仕事なはずなのだが, 書き手がいなくなって突然 自ら記事を書かなくてはならないことがある. 例えばこのコマメシである. 前まで書いていらした先生が突然執筆をおやめになり どうも由緒あるらしい 年1コラムが消滅の危機に立たされた. 2018年度春現在, もう2回書いたから次はだれかやってくれないかなぁと思うのだけれども. 読む方だって似たようなものを何度も読みたくはないのではないだろうか. 地図とお店を間違えないための調べ物は別として, じゃじゃじゃっとまあ小1時間くらいあればかける気がするので. どなたかぜひ適任者推薦・立候補いただきたい. 執筆資格は駒場の教員であることのようです.
.... 2020春ついに後継者を見出すことに成功し, 引退する運びとなりました. さすがに毎度新ネタはつらい.




    注: 実際の学部報とは段組みを変えてあります. 学部報委員会に掲載許可を取ってあります. 無断転載はしないでください.







『UP』4月号 (2018) 「東大教師が新入生にすすめる本」(東大出版会)
東大出版会のお世話になっている方から依頼のメールをいただき 何も考えずに軽い気持ちでうなづいてしまった(わたしによくあるパターン). 正月に夫から「それ真剣でメジャーなやつだよ, 僕も入学した時おやじに勧められて参考にしたよ」と言われてぎょっとした. 調べてみると過去のものは本として出版までされているではないか. (=論文と一緒で軽々しく書くと未来永劫残ってしまうことになる). しかも見てみると各分野あたり毎年1名くらいしかいない, つまりわたしは”物理担当”つまり物理を志すかもしれない少数の若者への何らかのメッセージの発信を期待されていることになる. そもそも私が地を出してしまったら「ドグラマグラ」とか「不滅」とかやや病的でめちゃマニアックな趣味になりかかるところで いたいけな青少年には害にしかならないかもしれない. 実際, 皆さん夢にあふれた本や専門への興味の喚起といったすこぶるまっとうな形で紹介をしている. このような問題点が次々浮上したため, 急遽, 夫婦会議をひらき, 私よりよほどコアな物理屋である夫と真剣に「大学に入ったばかりの若者が物理・数理系で 求めるべきものは何か」について話し合い, 選ばれたのが以下のような本(の一部)である.





    注: UP(東大出版会)に掲載許可を取ってあります. 無断転載はしないでください.