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唐突だが, おそらく多くの人に知られているだろう 西川美和さん(映画監督・小説家) はわたしの中学高校時代の同級生である. といっても別に特に友達だったというわけではなく クラスはたぶん何回も一緒だったような気がするし 何度か席が前後になった記憶もあるし おしゃべりしたこともないわけではない.
(まあここまで覚えているだけでも他人に関心が薄い私にしては驚くべきことであるが 向こうはきっと私のことなどは覚えていないだろう).
最後にお会いしたのは東京に進学して 1年目になぜか清心(高校)の同期で 誰かの家に遊びに行ったときだったようで写真まで残っている.

で, 何故彼女の話が出てきたかというと...
今年(2021)はうちの学生が2名大学の賞をいただいた. 実際 私が言うのもなんだが とてもいい仕事だったと思う. ありがたいことであり, 自分のことよりよほど嬉しいのだが, なんというか 賞をとるとかとらないとか  紙一重で世の中って複雑だもんだな, と思ったときちょうど, 彼女が新しい映画を作ってNHKの朝の番組に出ていたのを母が教えてくれて 拝見した. 彼女が直木賞候補やほかにも川端賞だったかな, 何度も候補にあげられながら受賞が成らなかったことをなんとなく思い出したからであり, 何となく仮にも少し知ってる気がする人がかいたものを読むというようなことが怖くて長年本を手に取れなかったのを, 1年前にふと読んでみようという気持ちになって読んでみたからである. 映画の賞はたくさんとっておられるようだが 私は日本映画は残念ながら見ないのだが.

「ゆれる」を読んだ. そのほか1,2冊読んだが「ゆれる」がよかった. 素晴らしくよくできた本である. 彼女が八本松という相当な田舎から東京に出て, 安直な言い方だがおそらく仕事で成功し, 故郷に何度も戻っているからこそ 書けた物語であり, 田舎をもつ人にとって何とも言えず感じるところのある, ある種マニアックな本なのかもしれない. 心に二重くらい蓋をして本人すらが気づかないかもしれないようないろいろなものを詰め込んだものを よくもまあここまで描けたものだとおもう. これが三島由紀夫賞なり何なりを取れなかったのは何かの間違いとしか私には思えない. 本屋で同じ「に」はじまりで見かけた直木賞を取った女性作家も最近数冊読んだ. まあこれも別に悪くはない, ときどき何冊かに1冊これは確かに良いかもなと思えるものもあるが 吉本ばななとか山田詠美が私がまだ中学だったころの昔 あの透明感とか違和感とかを訴える新しさで 一世を風靡したのとなんだか同じようなものを感じる. つまりラッピングというか表現手法で それが最も効果的に活きる対象を選び, 誰もが持つ共通の感覚に訴えて 一気に大衆受けすることに成功する本というのは 確かにあって, 決して面白くないわけじゃないし本としては こういうものが良いと言われればそうなのかもしれない. が, 西川さんの, 徹底的で静かで凄い という感じとは明確に異なるのである.
学会でも私たちは発表タイトルなんてみない, 誰が話すかで聴くかを決める, あいつはきっとそろそろなにか面白いことを出してくるに違いないから聞いておかなくっちゃと思って聞くわけで, 本をタイトルじゃなく作家で選ぶのと同じである.

ちなみに私にとっての読書や娯楽は2択であり, ひとつは頭の疲れを休めるためのもの, 時間がもったいないので 速読して読み終わった瞬間からその内容を忘れる.. 下手すると時間がないときは休んでいるのか何なのかわからない感じで仕事をしながら映画を見たりもする. もう一つは100回でもすっかり感覚を覚えるまで読んで反芻する類のものである. だが普段何を読むとか何がいいとか 決していうことはない, 私の中ではただひたすら私だけの個人的なことなのである. でもまあ西川さんの話はよいだろう.

話は変わるが 物理の研究結果には再現性が必ず求められる. つまり検証されるし共通の知識と基盤を持つ誰かが 必ず それが新しいかどうか価値があるかどうか位は客観的に判断できるのである. ところが世の中には 物理屋からみると, そういう価値基準が当てはまらるとはちょっと到底思えない学問分野はたくさんある. 以前, つい文系の先生にどういう風に研究者(人)を評価しているんですかときいてみたことがあったが不躾すぎたのか 答えてもらえなかった気がする. だがその物理においてすらある線をこえると多分にその仕事がすごいかどうかを判断するにあたっては, 感覚的なものが支配する. 感覚とは主観だがきちんとした主観があることは大事である, 酷い場合は他人や 偉い先生の評判なんてものが支配するという人もいるんだなとその手の会議に出ていて思うこともある. それで結局なんなのさということになるが, うちで議論して得た結論では,どんな分野も結局は 「僕にもできる/できない」「僕にも思いつく/思いつかない」の二択じゃないのか?ということになった.

話を戻すと, 西川さんの本はおそらくその辺の作家が束になって頑張ったところで「僕には書けない」本だと私は思う. しかし要は彼女の表現する世界の闇と光, 心の機微を百人いて百人が理解するか? つまり言い方を変えると大衆的であるかというと, おそらくそうはなり切れていないのではないのか, おそらくある一定の人にしか届かない緻密すぎ, 繊細過ぎる部分があるのである. まあそこが賞を逃したゆえんかもしれない. 世の中の感性なんてものは往々にして単純で雑なものである.

物理も所詮は人間社会であるゆえ 成功するためにはある程度の大衆性を求められる. いい研究をすればよいというその「いい」がマニアックすぎて世界の十人しか理解してくれなければ駄目なのである. だが世界にいる感性を共有する十人との知的交歓が得られるならばそれはそれで別に大衆的な評価なんて 受けなくたって愉しいのもまた学問のよいところでもある. 世間には偉くなりたい動機で研究する人も大衆的な研究ばっかりする人もいるだろうが 大衆的だとバカにしていたら これもまた たまに真性の素晴らしいヒットを出すこともあるので 物事を決めつけることは簡単ではない.
残念ながら私が気にいるものはいつも大衆と真逆である. お気に入りの飲食店は閉店の危機になりがちだし, 好きなものはほぼいつも売れ残っている. 私が気に入った相手を, それゆえ私はいつもお気の毒に思ってがんばって応援することにしている.

私の記憶にある西川さんは ビビとよばれていて独特のかっこよさがあった, 全然関係ないはずのに viviという歌(米津玄師)を聴いて米津の描いたMVの絵を見るたび たびになぜか彼女のイメージとダブるところがあるのはなぜなんだろう... バレーボールが得意でクラスの中で存在感があり 人望がありながら特にどこかに属する感じでもなく, 表面は穏やかだがちょっとブラックな捻りのきいたコメントをしていて, なかなか理解されない複雑な感性をもつ人のように思っていた. 自分の感情と表層の間に何か厚いガラス板をかまして 透明感のある冷徹だが冷たすぎない目で中から外を観察しているような感じの印象のある人だった. テレビで見た彼女はずいぶん目が穏やかになっているように見えて いい塩梅に落ち着いたなという感じがした. 人って四十過ぎるとやっぱり丸くなるんだなと妙な感慨を覚えた. 今後とも是非 よい本を出していただけるのを楽しみにしている.
ちなみに私の高校の同級生にはイラストレータをやっている さかもとすみよさん という方もいる. 彼女も手の長い女の子を いつもノートに描いているひとだった. みなみちゃんという自転車をびゅんびゅんとばす豪快で元気で優しかった女の子は 医者になって僻地医療に携わっていると聞いた. 自分の個性や感性を職業にできた人は実に幸いである.


# 勝手に個人名を出してしまいましたが, どなたも露出するお仕事なのでどうかお許しください.