昭和30年建設省に入省,以来主としてダム事業に従事しました。毎日与えられた仕事を忠実に行えば,それで,生甲斐を感ずることが出来た時代でした。現場の第一線も経験しました。半年間も蒲団に寝られないことも,身命が危険になったこともありましたが,何等苦痛を感じませんでした。社会のため,人のための仕事という使命観のためでしょうか,生甲斐を全身で感じていました。
ところで,最近「公共事業悪者論」がマスコミで採上げられています。身を粉にして盡力してきた者として,不満,遣る瀬無さ一杯です。6〜7年前になりましょうか,意識的に土木工学者,経済学者を除き,倫理学者,哲学者,社会学者等と社会資本はどうあるべきかの勉強を続けました。その結果,社会資本は@自然,A利便施設,B法律・制度から成ることが解りました。土木技術者は,Aについて,効率性,経済性,合理性を追求していますが,@,Bについては積極的な意識がないことが解りました。社会資本は,人間の幸せと,生甲斐のためにこそあるべきなのにです。
ところで,価値判断,評価は土木工学ではできないのです。1人の人間としての人生観,世界観によるのです。ついては,日頃から,人文社会学の素養をつむ必要があるわけです。旧制高校生は,寮生活の中で,読み,語り合い乍ら素養を積んできました。現在の学制では難しいと思います。従来以上の努力が待たれます。頑張ってください。土木技術者は幸せと,生甲斐に関する社会資本を整備する天職なのですから。
最後に2つの言葉を贈ります。
青山士(大河津分水路(スエズ運河と同量の掘削事業)を完成させた)
“万象に天意を覚る者は幸せなり,国のため,人類のため”
ストラスブール大寮歌の一節
“学ぶとはまことを胸に刻むこと”
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