大学2年で進路を決める時、土木・建築・都市工学の3科の間で迷い、それぞれの分野の違いや、各学科で行われる授業内容について調べている時に、当時の土木工学科事務の田代さんに、「今、土木には景観を専門にやる先生(篠原先生)がいる。土木、建築、都市工学のすべてに関係する面白い分野だ。」というようなことをいわれ、それなら景観を通して、この3分野の勉強をすればよいと、土木工学科に進んだ。
進振後は、土木の勉強よりも、映画に没頭して映写技師のアルバイトをやったり、大学では教養学部や文学部の授業を取り、それで単位を稼いだりしていた。この時期、特に興味を惹かれたのがフランス文化(映画、絵画、建築など)で、爾来、フランス留学だけを考えて、修士には進まず、フランスの土木学校に入学した。
フランスで刺激的だったのは、講義、学生・研究者との交流、そして何よりも新旧の土木構造物、建築物、街並みであった。フランス語で試験を受けたり、論文を書かなければならなかったから、留学後最初の1、2年は、大学受験時ほどの猛勉強をした覚えがあるが、その先は、フランスの土木・建築・都市史の資料をあさり、フランスの街並みの成り立ちや過去の土木技師について、よく考えるようになった。また、ひまを見つけて車で旅行し、各地の著名な土木構造物や建築物を訪ねた。長い歴史の中で多くの人々に評価・価値づけされ、その後に影響を及ぼした本物の構造物が現存するのを見て、何度胸の踊る思いをしたことか。さらに、本に載っていないような見所を発見しながら、それらの素晴らしさを実感していた。土木という分野が知的好奇心をそそるものだという認識が明確化するのも、こういった資料調べや旅行を通してだった。
結局、東大土木時代には想像していなかった職業に就くこととなった。当初、あいまいな気持ちで選択した土木であったが、長い学生生活の間に、土木と自らの興味との接点が見つかり、それを深めることのできるような職場に進むことができたのは、幸運だと思っている。
「現在と未来を豊かなものにするために、過去の優れた遺産を大切にする必要がある」という、フランスでの生活の中で空気のように触れていた考え方を、日本の文化財保護行政の現場で人々と共有できない歯がゆさを感じる場面は多々あるが、今のところ、優れた土木遺産を見出し、価値付けしながら、いかにそれらを蓄積していくか模索することが自分の興味であり責務であると、各地の土木構造物を見て回っている。
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