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先輩の声
三島 徹也氏(83年卒) 松井 保幸氏 (87年卒) 岡本 章司氏(89年卒) 土屋 智史氏(96年卒)
  上田 功氏(90年卒) 北河 大次郎氏(92年卒) 廣瀬 利雄氏(55年卒)
綿谷 昭夫氏 (72年卒) 大野 浩氏(83年卒・故人) 田口 治宏氏(84年卒) 瀬古 一郎氏(90年卒)
水谷 誠(85年卒) 盛谷 明弘(86年卒) 滝本 勝(97年卒) ジェ シュ氏(12年卒)
シタラム氏 (90年卒) ハメド ハドホウド氏(10年卒) ペンヌン ワーンニッチャイ氏(85年卒) ヤニさん(10年卒)
ヨランダ アルベルト氏 (14年卒) ラン ビン(89年卒) 森 昌文氏(81年卒) 天野 玲子氏(80年卒)
田代 民治氏 (71年卒)




氏 名: 天野 玲子

昭和55年卒、写真右
東京農工大学に入学。その後東京大学に入学。反応化学科卒業後に学士入学で土木工学科に入りなおし、昭和55年、東大土木で女性初の卒業生となった。卒業後は鹿島建設に入社し、技術研究所配属。コンクリート橋梁を中心に研究し、ハード部門の中心である土木管理本部土木技術部担当部長を経た後、実用化研究のマネジメントや知的財産部専任役などソフト分野の仕事に関わる。退職後、生産技術研究所の客員教授を務め、現在は防災科学技術研究所レジリエント防災・減災研究センター審議役、国立環境研究所の監事、及び東日本旅客鉄道株式会社の社外取締役を兼任。平成11年、東京大学博士(工学)

インタビュアー:梅澤祥太(交通研M1、左奥)・長谷川悠(大口井料研M1、左手前)

 

・土木への強い興味
なぜ土木分野に行きたいと思ったのでしょうか?

 中学2年生の時に父親に唯一連れて行ってもらった映画が『黒部の太陽』でした。そして父親も母親も土木系で、東大の生産技術研究所の技官を務めた後、父親は土質系の会社に移り母親は土質試験室を立ち上げました。私は中学時代から、アルバイトとして母親のところで土質試験をやったりしていました。母親は土を握っただけで含水比など土質を把握できるすごい人でした。両親も私を土木の世界に行かせたかったのかもしれないですね。ともあれ『黒部の太陽』を見て、石原裕次郎みたいな人の奥さんになろうと思った、わけではなく、石原裕次郎みたいな人になりたいと思ったのです。
 そして最初は農工大に入ったのですが、「ダムを作りたいです」と先生に言ったところ、ここでは堰しか作れないと返されてしまいました。それで東大に入り直したのです。駒場時代にはクラスの女子4人で豪快な学生生活(酒、麻雀、ディスコなど)を送りました。その後専門課程に進むとき、土木工学科に行きたかったのですが点数が0.2ポイント足りず、反応化学科へ進みました。火薬学科だから土木にも関係あるかなと思ったからです。そこでの実験は大掛かりでとても面白かったです。しかしそれでも土木への道を諦め切れず、学士入学で土木工学科に入り直すことにしました。ただ、当時土木工学科では女子の受け入れ実績はなく、先生方は大慌てだったようです。

・土木工学科の勉強と異例づくしの就職活動
土木学科に入って、思っていたイメージと違うことなどはありましたか?

 こんなに勉強ばっかりさせられるのかとは感じましたね。周りのみんなも一生懸命勉強していました。土質の研究室に入ったのですが、そこでの実験も面白かったです。進路を考えるに当たっては、6年大学にいたので、大学院へは進まず、社会に早く出たいという気持ちがありました。公務員は希望ではなかったのでゼネコンに入りたいと言ったら、先生方は頭を抱えてしまいました。当時女性がゼネコンに就職するのは異例のことだったからです。しかし就職担当の中村英夫先生が鹿島建設の石川六郎社長にかけあってくださって、入社試験を受けられるかどうかを見る面接を設定してくれました。そして面接をし、入社試験の成績がよければ受け入れてもらえることになったのです。その頃の入社試験は土木の専門科目と英文読解でした。過去問を渡されて、「1週間後に入社試験」と告げられたので、もう必死になって勉強しましたよ。その結果成績は2番で、1番だった方は公務員へ行かれたので、入社したなかでは1番でした。

研究とマネジメントの仕事
ゼネコンでは、どのようなお仕事をされていましたか?

 就職先の鹿島建設では、受け入れてもらえただけありがたいと思ってくださいねと言われました。現場志望だったのですが、土質やコンクリート材料は現場に近いからダメと言われ、現場から遠い技術研究所のコンクリート構造の研究室に配属になりました。材料力学は苦手だったのですが、なんとかなるでしょうと思っていました。そして橋梁をやってみたら面白かった。新しい工法を開発すると、3年くらいで実物の橋ができていました。しかし、研究開発して、橋ができて、賞をとって、じゃあ次というのをずっと繰り返すのは味気ないと思っていました。実務はもういいかなと感じていたころに声がかかり、実用化研究のマネジメントの分野に異動になりました。テーマを決めてお金を配分して、結果を見て、それに応じて再配分。成果はいろいろな方面で生かして、全体としての利益を高めるという考え方のもとに仕事をするのもまた楽しいかもと思いました。

・ハードをわかった上でソフトのインフラ政策
現在の土木のフィールドに対して何かご意見はありますか?

 現在の土木の世界や国の政策では、ハード系のインフラに重点があてられてソフト系のインフラ管理部門が足りないと感じています。国がぜひソフト系を推し進め、そういった体制を作って欲しいです。ハードだけにとらわれず、ハードを生かすのはソフトであるというような感覚を若い方々は持っているはずなので、頑張っていただきたいです。とはいえ、そのためにはハードをしっかり理解することが必要で、初めからソフトだけでもうまくいきません。
 また、研究事業に関してですが、研究そのものに注力することはもちろん大事ですが、その成果をどう実際に生かすかを考えていくことが必要になると思います。

・実務経験で培った「感覚」
現場近くの仕事から最近はマネジメント部門に移られましたが、現場経験はどう効いていますか?

 実際に現場を見たという経験はすごく生きています。例えば、政治家でも「このようなことをやりたい」とはいくらでも言えます。でも、それを実行するためにはどのくらいの費用や時間がかかるのかということはあまり考えないでしょう。こうした「コストと時間の感覚」を持つためにも、実務の経験は絶対に必要だと思います。私はコンクリート構造と火災の分野を特に専門としていましたが、それぞれどの程度の「精度感覚」なのか、わかるだけでもプラスになります。詳しいことはプロに聞けば良いですが、その入口がわからないと進まなくなります。イメージだけでなく、どの分野でも良いから実務の感覚を持っているとマネジメントもやりやすいです。また、自分の拠り所があると、他の人が言っていることもわかりやすいと思います。

・幅広い視野と自分の強みである軸の確立
さいごに、後輩へのメッセージをお願いします

 学生さん、これから社会に出る人はとにかく自分のキーワードを見つけることが大事になると思います。この分野のこの内容だったら誰にも負けないというものを極めること。最近よく言われている「T型人間」でいえば縦の足の部分ですね。そして、1つ足を確立したら、もう2つくらい作ることができると良いです。私の場合はコンクリート橋梁が大きな軸で、それに加えてトンネル火災と研究開発のマネジメントも軸としていました。一方で、「T型人間」の横棒の部分も重要です。土木ではプロジェクトのマネジメントとして大枠をまとめていくことが必要になります。そして自然とそういったまとめ役には分野に関係なく土木の人がやることが多いと感じています。細かいところだけでなく全体像を見るような目がありますから。そのためにも、さまざまな分野に興味を持ち、人脈を広げていってください。私も、これまでいろいろな委員会などに参加して、それまで知らなかったような世界観や知識を得られました。

 


 
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